2020年4月2日(木) 19時57分~21時54分の放送
【奇跡体験!アンビリバボー】
”誰ひとり信じてくれない!現代日本で本当にあった恐怖SP”
突然、覚えのない罪で逮捕!?警察検察はもちろん弁護士や家族、誰ひとり信じてくれない…!
明日あなたの身にも起きるかもしれない現代の日本で本当にあった恐怖
今回は“誰ひとり信じてくれない!
現代日本で本当にあった恐怖"2時間SPをお届けする。
小さな街で平穏に過ごしていた男性は、この日も変わらず勤務先に出社した。
しかし突然、車で現れた刑事たちに取り囲まれ、何の事件かも知らされず容疑者として署に連行されてしまった。
取り調べを担当した刑事は詳細を明かさず「お前がやったんだろ!」と繰り返すだけで、なぜ自分がこんな仕打ちに合っているのかすらわからなかった。
罪になるようなことをした覚えのない男性は無実を訴えたが“犯人に似ている"というだけでまったく取り合ってもらえず。
2回目の取り調べでようやく暴行事件の容疑者となっていることを知らされた。
もちろん男性はやっていないのだが、過酷な取り調べは朝から晩まで何度も続き、肉体的にも精神的にも疲れ果て、耐えかねた男性は、ついに犯していない罪を自白してしまった。事件現場の場所も、証拠となるものの所在も何も知らない。
しかし、あれよあれよと言う間に男性は逮捕・起訴されてしまった。
警察・検察はもちろん、実名報道され起訴されてしまったことで、担当の弁護士、家族まで、誰ひとり自分の無実を信じてくれない…!絶望のあまり「自分は罪を犯したんだ」と思い込まなければ、生きることもできないほどの過酷な日々…!
明日あなたの身にも起きるかもしれない!現代の日本で本当にあった恐怖とは!?
引用:https://tv.yahoo.co.jp/
放送でもありましたが、全く身に覚えのない罪を着せられること。
そう、今回注目したいのは【冤罪(えんざい)】についてです。
(※冤罪=無実であるにも関わらず犯罪者の扱いを受けること)
私たちが暮らしているこの日本で、いったいどれだけの件数の実際に冤罪があったのか?
冤罪が疑われる事件があるのか?気になるところです。
しかしながら、実際には【何件】という断定できる数はありませんので、ネットでいくら探しても見つからないでしょう。
なので、私が実際に調べてみました!
※ある程度世間でも知られているある大きな事件のみ含む
(痴漢などの冤罪は本当に数えきれないほど多く存在しますので含んでいません)
実際に冤罪(えんざい)となった事件(5件)
実際には本当にたくさんの冤罪が存在するのでしょうが、世間で注目を集めた事件を一部取り上げました。
中には、冤罪となり真犯人が見つかることなくそのまま未解決事件となったケースもある。
足利事件(あしかがじけん)
1990年(平成2年)5月12日
栃木県足利市にあるパチンコ店駐車場から女児(4歳)が誘拐され、翌朝になって近くの渡良瀬川河川敷で遺体となって発見された。
事件と無関係の男性が逮捕・起訴され、無期懲役が確定し服役した冤罪事件。
真犯人が検挙されず、公訴時効になった未解決事件。
八海事件(やかいじけん)
※正確には冤罪ではなく、主犯格を除く4名が無罪となった。
1951年( 昭和26年)1月24日深夜
山口県熊毛郡麻郷村(おごうむら・現在の田布施町)八海で瓦製造業を営む夫婦(ともに当時64歳)が殺害され金銭が奪われた事件。
八海で発生した強盗殺人事件で、のちの裁判で被告人5人のうち4人が無罪になった。
福井女子中学生殺人事件(ふくいじょしちゅうがくせいさつじんじけん)
1986年(昭和61)3月19日午後9時半頃
福井県福井市の市営住宅において、卒業式を終えた後に1人で自宅にいた女子中学生が何者かに襲われる。
自宅台所にあった2本の包丁で全身約50箇所近くを刺されたうえに、灰皿で頭を殴られた後、コードで首を絞められて殺害されるという事件。
布川事件(ふかわじけん)
1967年8月30日の朝
茨城県北相馬郡利根町布川で、独り暮らしだった大工の男性(当時62歳)が何者かの手によって殺害された。
仕事を依頼しに来た近所の人によって自宅の8畳間で他殺体で発見された強盗殺人事件。
犯人として近隣に住む青年2人を逮捕・起訴し、無期懲役が確定した。
しかし、証拠は被告人の自白と現場の目撃証言のみで、当初から冤罪の可能性が指摘されていた。
2009年に再審が開始され、2011年5月24日、水戸地方裁判所土浦支部にて無罪判決が下された。
東電OL殺人事件(とうでんオーエルさつじんじけん”東京電力女性社員殺害事件”)
1997年(平成9年)3月9日未明
東京電力の幹部社員だった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートの1階空室で殺害された未解決事件。
ネパール人被疑者が犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監されたが、のちに冤罪となり無罪判決となっている。
冤罪(えんざい)の疑いがある事件(複数)
冤罪の疑いがある事件は本当にたくさんあります。
こちらも世間に知られた事件のほんの一部となります。
※こちらは冤罪確定ではなくあくまで”疑い”のある事件となります。
ご理解の上、お読みください。
飯塚事件(いいづかじけん)
1992年(平成4年)2月20日
福岡県飯塚市
2人の女児(当時小学1年生)が殺害された事件。
逮捕・起訴された久間 三千年(くま みちとし)に死刑判決が下り、2008年に執行された。
しかし、翌2009年に久間元死刑囚の妻が再審請求したところ、福岡地裁・福岡高裁ともに、再審請求を棄却した。
現在は最高裁に特別抗告中とのこと。
恵庭OL殺人事件(えにわオーエルさつじんじけん)
2000年(平成12年)3月17日午前8時頃
北海道恵庭市
普段から全く人気のない農道の路上に焼死体があるのを幼稚園バスの運転手が発見した。
遺体はタオルのような布で目隠しされ、手は後ろで縛られたまま完全に炭化していた。
死因は頚部圧迫による窒息死で、絞殺後に灯油をかけられたものと見られる。
(確定判決では、犯行時刻は3月16日の午後9時半から11時5分頃とされている)
大阪地裁所長襲撃事件(おおさかちさいしょちょうしゅうげきじけん)
2004年(平成16年)2月16日の夜
大阪市住吉区
住宅街にて徒歩で帰宅中の大阪地方裁判所所長・鳥越健治が4人組の若者に襲われる。
現金6万3千円を強奪された上に骨盤骨折などで全治2ヶ月の重傷を負ったという強盗致傷事件。
大崎事件(おおさきじけん)
1979年(昭和54年)10月15日
鹿児島県曽於郡大崎町
被害者自宅併設の牛小屋堆肥置き場で、当時42歳で農業を営む家主の遺体が発見された。
被害者宅の隣に住み、それぞれ農業を営む家族が容疑をかけられた。
当時52歳の長兄と当時50歳の次兄が、殺人と死体遺棄容疑。
10月27日に次兄の息子で当時25歳の甥が死体遺棄容疑。
10月30日に当時52歳で農業を営む長兄の妻が殺人と死体遺棄容疑でそれぞれ逮捕された。
主犯の長兄の妻が長兄・次兄・甥とともに保険金目的で酒乱の被害者の殺害を企てたとして起訴された。
鹿児島高齢夫婦殺害事件(かごしま こうれいふうふさつがいじけん)
2009年(平成21年)6月19日夜
鹿児島県鹿児島市下福元町
とある民家において老夫婦がスコップで滅多打ちにされ殺害された。
家のガラスが割られていたことから、鹿児島南警察署は何者かが外部から無理やり侵入したとみて殺人事件と断定した。
のちに司法解剖を行った結果、死因はともに頭や顔を強打されたことによる脳障害と判明した。
傷跡から凶器はスコップと断定してスコップの遺留指紋から警察は被疑者として6月29日に元大工の男性Sを逮捕した。
川崎協同病院事件(かわさききょうどうびょういんじけん)
1998年(平成10年)11月2日
神奈川県川崎市川崎区
当時58歳の男性患者が気管支喘息重積発作から心肺停止へ陥り川崎協同病院へ搬送される。
患者は1984年に公害病認定を受けており、病院到着後の一次救命処置により心臓の拍動に再開を認めるも低酸素脳症から意識障害は回復せず、人工呼吸器を処置され入院する。
自発の呼吸再開を認めて11月6日に人工呼吸器を外すも、気管内チューブは留置する。
11月11日に医師が抜管すると呼吸状態に悪化を認めて窒息の恐れから再度挿管する。
この間に医師は「患者は9割9分9厘植物状態になり、9割9分9厘脳死状態である」と説明し、家族は患者の気管内チューブ抜去に同意したとされる。
旧清川村強盗殺人事件(きゅうきよかわむらごうとうさつじんじけん)
2005年(平成17年)3月19日
大分県清川村(現豊後大野市)
女性の酷く殴られた状態の遺体が自宅の裏庭で見つかり、乗用車が奪われていた。
大分県警は、2007年2月、被害者と顔見知りでこの事件とは別の窃盗罪により服役中だった被告を強盗殺人、窃盗、住居侵入の罪で逮捕した。
当初は容疑を否認していたが、数日後に容疑を認めた。
検察はこれを受けて2005年3月8日に被害者宅に侵入して現金13万円を盗んだ容疑。
同14日に被害者宅に侵入してコンクリートの塊で被害者を殴り倒してビニールひもで首を絞めるなどして殺害した容疑。
後に乗用車や商品券を奪った容疑で逮捕していた被告を起訴した。
和歌山毒物カレー事件(わかやまどくぶつカレーじけん)
1998年(平成10年)7月25日夕方
和歌山県和歌山市園部
園部地区で行われた夏祭りで発生した毒物混入・大量殺傷事件である。
毒物が混入されていたカレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送される。
そのうち、小学4年の男子児童と高校1年の女子生徒、園部第十四自治会の会長と副会長の4人が死亡した。
被疑者として逮捕・被告人として起訴された主婦林眞須美(はやし ますみ)は無罪を訴えるが2009年には最高裁判所にて死刑が確定した。
袴田事件(はかまだじけん)
1966年(昭和41年)6月30日
静岡県清水市(現・静岡市清水区)
みそ製造業の会社の専務の自宅が何者かに放火され、焼け跡から死体で発見された。
一家4人には刺し傷があって集金袋が行方不明となっており、現場では雨ガッパと小刀が見つかった。
事件当日が給料日であり、現金があったことを知っている内部に詳しいものの犯行と警察は見ていた。
また被害者の専務が柔道2段の巨漢であることから、これだけの犯行ができるのは誰かとの予断と偏見に基づいた結果。
元プロボクサーでみそ工場で働いていた袴田巌さんが、事件直後、左手中指などに負傷(実際には消火活動で負傷)をしていたことを理由に逮捕された。